変大佐の備忘録

「こころのなか」

【読書感想文】終末におけるやすらぎとスペクタクルの調和について【少女終末旅行】

 お久しぶりです。ここ何ヶ月かずっととある作品の記事をみっちり書き詰めていたせいで、しばらく文章を書く気力が消し飛んでいた変大佐です。冗長な文章ならいくらでも書けますが、内容を膨らませつつきちんと練った文章を書くのは、やはりかなりのエネルギーを消費しますね。
 ところで、創作に「非日常のやすらぎ」を求める場合と「非日常のスペクタクル」を求める場合とでは、大抵貪るべきコンテンツは異なりますよね。
 終わらない日曜日のようなぬるい時間が流れる、疲れ切った心に潤いを与えてくれるような作品(さはなくんちゃんさんに曰く、Vtuberたちの作っている終わらない日常アニメも、おそらくこちらに該当します)と、あるいはタイムラプス動画のような凝縮された日々の中で、登場人物の運命に一喜一憂させることで心を激しく揺さぶってくれるような作品とでは、その対象とする「層」が大きく異なるはずです。
 それはひたすらやすらぎを求める人であったり、ひたすらスペクタクルを求める人であったりしますが、終わらない日曜日も、凝縮された「他者」の人生も、ぼくたちの日常にはないものです。だからこそ、フィクションは力を持つものだと思いますが。

 閑話休題

 やすらぎ重視とスペクタクル重視、彼らの言い分はそれぞれこうです。
「非日常の中でまで、つらい思いをしたくない」
「非日常の中でこそ、魂揺さぶる疑似体験が欲しい」

 前者が兄、後者が弟であるぼくです。
 ぼくら兄弟は両方「涼宮ハルヒの憂鬱」というこれら二つのどちらをも兼ね備えたコンテンツから二次元フィクションにズブズブとハマっていきましたが、その後にたどる作品の好みはおおよそ両極端と言っていい偏り方を見せていました(推しキャラの好みだけはお互いにずっと長門を鋳型にしていて、弟ながら歯がゆい思いでしたが)。そんなぼくら二人が、数年ぶりにお互いの琴線に触れるコンテンツに出会いました。それがこれです。

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

 はい。前置きが長くなりましたね。これは少女終末旅行の読書感想文ですよ。もしかしてお忘れになっていたのでは?
 ……まあ、だいたい言わんとすることは既に伝わったかと思いますが、念のため申し上げておくと、この作品は先に述べた「やすらぎ」と「スペクタクル」の両方が、これまでに見たことのない奇跡的なバランスで成立しています。
 そう、「やすらぎ」を「諦観」にすり替えることによって。
 絶望的なはずなのに、絶望感がない。だって道は続いているから。果てがない。終わりが見えない。だってもう終わっているから。それだのに、彼らの旅路は我々の目には平穏に映るのです。それが平坦に見える断崖であることを、薄々と感じながらも。
 ふわふわもちもちのタッチで描かれたチトとユーリ、その他の有機的な登場人物が、恐ろしく冷たく無機質で角ばった背景、小道具、そして無機的な登場人物たちと出会い、失われた過去に思いを馳せます。彼らのそうした様子はまさに別世界の――あるいは遠くない未来の――日常そのもので、ぼーっと見ているとなんだか心が温まるものですが……そうして呟いた彼女らの何気ない一言が、不意に受け手側の心を射抜いていったりもするのです。
 彼女らふたりの顛末についての詳細な感想はあえて述べませんが、本を閉じたとき(電子書籍なのであくまで比喩ですが)、ぼくの心にはひとつの日常アニメを見終わったときのような喪失感と、ひとつの物語に蹴りをつけたような充足感が等量に去来していました。いい作品でした。つくみず先生バンザイ。